プロフィール:
1942(昭和17年)
釜師 角谷一圭の次男(勇治)として大阪に生まれる
1961(昭和36年)
大阪市立工芸高等学校 図案科 卒業
東洋紡 意匠課 勤務
1970(昭和45年)
父 一圭に師事
1990(平成 2年)
第37回日本伝統工芸展「和銑流水文釜」(文化庁蔵)
2001(平成13年)
角谷鋳金工房 設立(大阪府八尾市美園町)
2002(平成14年)
太宰府天満宮1100年大祭 御宝鏡 謹作
勇圭と改める
2004(平成16年)~2005(平成17年)
現代の「日本の金工」展(デンマーク王立工芸博物館他)
2013(平成25年)
THE世界一展(グランフロント大阪 / 日本科学未来館・東京)
2015(平成27年)
大阪府無形文化財保持者(工芸技術の部・茶の湯釜) 認定
2016(平成28年)
第63回日本伝統工芸展「流水独楽形釜」(特待者出品)
2017(平成29年)
なにわの伝統工芸 受け継がれてゆく匠の技と美(大阪府立弥生文化博物館)
日本工芸会正会員 / 日本鋳金家協会会員 / 大阪工芸協会会員 / 東大阪工芸協会会員
茶の湯窯、茶釜
茶席で亭主の代役をつとめる茶の湯釜は「わび、さび」という、極めて日本的な特色をもつ、鉄の芸術であるといわれています。茶人の趣味や趣向により、その時代の鋳物師、釜師達は、さまざまな姿、文様、肌合いの釜を生み出してきました。大陸から渡来した湯釜に起源を持ち、禅宗の影響で喫茶専用の釜となり、室町から桃山時代にかけて茶道が成立すると、茶道の美と精神を表現する茶道具として用いられるようになりました。
芦屋釜
室町時代に筑前芦屋(福岡県遠賀郡芦屋町)で作られた釜を特に芦屋釜と呼ばれ、その形は真形(しんなり)で、鐶付(かんつき)には鬼面を用い、鋳肌は滑らかで、ヘラ押しによる文様が鋳出されているのが特徴です。戦国武将の大内氏の庇護を受け、桃山時代以降は各地に分派しました。芦屋釜として現在8点が国の重要文化財に指定されています。
父(人間国宝) 一圭は、芦屋釜の研究に熱心に取り組み、優美なヘラ押しを習得し、数々の優品を生み出しました。
角谷鋳金工房
当工房は、祖父 巳之助(1869~1945)、父 一圭(1904~1999)の遺志を受け継ぎ、2001(平成13年)大阪府八尾市美園町に設立しました。