【2020.3.19 三年坂美術館・村田理如氏の美学に触れて…-第一部-】
2020/03/21
wakisyoukai


About

春の麗かな午後、私どもは『和器競売オークション2020 春(※3/29(日)-30(月)開催)』の作品の中から選りすぐりの優品を手に村田理如氏を訪ねた。

村田氏は清水三年坂美術館の館長や並河靖之有線七宝記念財団理事を勤めており、幕末・明治期を中心とする細密工芸に関して非常に造詣が深い。
訪問先は村田氏が館長を勤める三年坂美術館。
三年坂美術館は京都・清水寺にほど近い風光明媚な場所に軒を構える。

背景となった文化を理解する事。
作家同士の関係性の面白さ。
施された技巧をしっかりと観察する事。

村田氏には、いつまでも心に残る、なにものにも代えがたい豊かな時間こそが、美術そのものだと改めて教わった。

千年の都・京都に息づく歴史を感じつつ、村田氏の美意識に触れる貴重な時間を皆様と共有したい。

なお、今回の村田氏への貴重なインタビューは三回に分けて詳しくお届けする。
 

Products

●L362『七世象彦在銘 松鶴祝歌蒔繪文房寶箱(雙重共箱)』    27.0*24.0

・七世象彦の渾身の作品。
皇室より寵愛された作家だけあって、脱帽の技術だ。
共箱にも記されてある本題『松鶴歌意』とは、まさしく『後拾遺和歌集』より平兼盛の詠んだ歌であり、本作は『内裏の御屏風に命長き人の家に松鶴ある所を. 春秋も志らで年ふる我身かな松とつるとの年をかぞへて』と大器晩成・未来永劫を意味する非常におめでたい歌切れも添えられている。
まさに一見は百聞に如かず、歌をそのまま作品に仕立てた圧巻の出来で堂々美術館級の作品。

・村田氏
象彦でもやはり、七世象彦の名前入れるのは自信作の証。
七世象彦の作品は非常に貴重であり、象嵌や珊瑚での装飾は見事。

※七世象彦
本名は西村彦兵衛。
象彦とは、寛文元年(1661)京都平安神宮の西側冷泉橋たもとで創業した350年続く京漆器の老舗で、歴代天皇の御用蒔絵師であった。
明治26年(1893)シカゴ・コロンブス記念万博に出品した 記録がある。 
 

●L396『塚田秀鏡作 花鳥象嵌花瓶一對』
H:28.0cm/総重量:2105g

・明治-大正時代の彫金家(帝室技芸員)である塚田秀鏡(1848-1918)の作品。
本作には『秀鏡刻』のサインと共に彼の号でもある『真雄斎』とも彫られてある。
秀鏡は絵画を柴田是真(最後の江戸職人とも呼ばれるカリスマ)に師事して草花図を習得しており、本作はその類稀なる観察眼を研ぎ澄ました集大成とも呼べる。
白百合の葉の力強さや藤の嫋やかな表現など見ごたえが多い。

・村田氏
真面目で非常に良いものである。
秀鏡の作品がもともと少ないので貴重であり、花びらなど流石の表現である。
藤の花などは平象嵌と高肉象嵌の組み合わせて遠近感を出しており、工夫が見られる。
一枚の銀を継ぎ目なしに絞り上げて打ち出しをして力強く成形している、非常に格調高い作品。
宮内省への献上品で、皇室用や国賓への贈答品となる作品はもう少し背が高いのだが、本作でも引け目ない。

※塚田秀鏡(1848-1918)
15歳で彫刻を勝見完斎に、絵画を柴田是真に学ぶ。
成人した後、加納夏雄 の入室の弟子となる。
是真・夏雄両師への謝意を表すため、それぞれの 一字をとり真雄斎と号した。
明治19年(1886)、明治天皇の御前で金彫 の実演を行った。
大正2年(1913) 12月、帝室技芸員に任命されるととも に、東京彫工会の審査員となった。
●L398『福祿壽文房具 照親作栗山草堂藏(共箱)』
寸法不一    

・『栗山草堂』とは明治時代の士族である石坂専之介によって蒐集されたコレクションを指す。
本作三点は非常に愛嬌ある可愛らしい彫金で、目や裏側の細工まで行き届いている。
見ていて飽きない魅力がある。

・村田氏
鹿は毛並み良く、蝙蝠は特に目や牙など、亀の水滴も足の作り方までしっかり彫られている。
彫りが非常に丁寧で巧みである。
なかなか真面目で良いものだ。
●L401『香川勝廣作 鉄包銀七寶銀象嵌 花入(木箱)』H:20.5cm/G:757g

・香川勝廣とは1853-1917 明治-大正時代の彫金家。
東京美術学校(現東京芸大)教授・のち帝室技芸員となる。
本作は宮内庁所蔵『和歌浦図額』(川端玉章・図案)を髣髴とさせる、まさに勝廣らしい作品だ。
菖蒲の頃に白鷺が羽を休め、旅立つ準備をしている姿には生命力が溢れ、悠々としている。

・村田氏
良い彫りをしている。
鷺の羽が独特の彫りで、魅力深い。
鉄も打ち出しでかぶせて中を銀・象嵌を使っている。
貿易向けに作成した明治工芸の超絶技巧である。
勝廣は流した刻が多いのだが、本作は宮内庁に納品する場合はこのようにしっかりと楷書体の刻銘がある。

※香川勝廣(1853-1917)
本名は幸次郎、号は清了軒。
12歳で有吉吉長の門下に能面彫刻を、柴田是真に絵画を学ぶ。
金工は初め野村勝守に、のちに加納夏雄の門下に学ぶ。
高度な片切彫りの技術を駆使した作品を制作した。
明治31年から32年 (1898-1899)まで、東京美術学校彫金科で教鞭を執る。
明治40年(1907) 帝室技芸員に推挙された。

緻密な幕末・明治工芸の技巧に脱帽するばかりだ。

インタビュー第二部も乞うご期待。
wakisyoukai